福田康夫氏不出馬への失望
福田康夫氏が、次回の自民党総裁選に出馬しないことを正式に表明したらしい。
一般論としてだが、ある体制なり組織なりが危機に見舞われたとき、勢いのいいことばかりを言う人間というのは、本気で言っている者も、腹にいちもつあってそのように振る舞って見せている者も、どちらも危険だということにおいて変わりはない。それが責任のある立場の人間ならなおさらだ。
そんなわけで、始終苦虫をかみ潰したような顔をして、口の重い(そうでないときもあるが)福田氏に、消去法ながらぼくは期待を抱いていたので、少しばかり落胆した。今後、自民党の総裁選はどのように推移するのだろう。
司馬遼太郎に「明治という国家」という本がある。1989年の発行である。精神の歴史として明治国家をとらえ直したような内容で、ときおり読み返してみることがある。
第三章「江戸日本の無形遺産“多様性”」では、全国の藩が江戸時代二百数十年にそれぞれに涵養し得た精神の多様性について述べていて、それぞれが後に「明治」に果たした役割を頭において考えると興味深い。
| 「長州人タイプ」 という言い方があります。頭がよく、分析能力をもっている。また行政能力に優れ、しばしば政略的でもある。権力の操作が上手で、とくに人事の能力に長けている。 * 長州藩は書生の集まりのようなもので、たえず百家争鳴しています。この書生の親玉である高杉晋作は天才的な人ですが、一時期、野党にまわって四国の讃岐に亡命していたとき、 「わが藩の者は、秘密を守れない。いつも漏れてしまう」 と、同志に対する手紙のなかでこぼしています。長州人にとって“動カザルコト山ノ如シ”というのは、にが手なのです。 * ――長州藩は、書生たちが藩を牛耳っていて、やることなすことがめちゃくちゃだった。四カ国艦隊を相手に一藩だけで戦争をしたり、幕府に両度にわたって攻められたり、あのままでゆけばつぶれていたろう。 ということがいえます。たしかに長州藩はつぶれていたでしょう。 |
ぼくは臆病なので、危機にあたって勢いのいいことを言う政治家にはそれだけで不信を抱く嫌いがある。「明治」から昭和前期へのターニングポイントになったのは、たぶん日露戦争後の世論の沸騰であり、そこには明治維新以来、軍備拡充のために大きな負担を強いられた国民の長い不満があったのだと思われる。現在の日本にも長い不況を強いられた不満の蓄積があり、そこを利用する政治家の思惑もあるのではないか。戦前のドイツでナチスが台頭したときも同じような状況があったはずだ。
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