小泉首相や安倍官房長官の参拝問題を中心に、最近、靖国神社に関する議論が盛んだ。
ぼくは、きちんとした研究者ではないし、勤勉ですらない。基本的には、TV・新聞や雑誌等で目にするだけだが、とりあえず自分のためのメモとして、いまの時点での靖国問題についての自身の印象や感想を整理しておきたいと思う。
古来、日本には争いが終われば、敵味方の区別なく死者を弔うという、伝統というか、習慣というか、そういう発想のようなものがあったと思われる。これは、恨みを残して死んだ者は祟るという怨霊観の裏返しとして、死者を鎮魂することで祟りを逃れたいという心理からだとも言われるが(同じ理由から、死者の罪状を糾弾し続けるようなこと=死者を鞭打つような行為もあまり好ましいこととはされてこなかった)、長い歴史のうちに、そのような「恐れ」の感情はややもすれば無意識下に沈み、敵味方の区別なく死者の冥福を祈るということが、人における好ましい態度として定着してきたという一面もあったように思われる。
その伝統(あるいは慣習)から見れば、実は、靖国神社というのは「異質」な存在である。
靖国神社は敵側の死者を弔うことはしない。国の命令によって戦地に赴いて死んだ死者の死に栄誉を与え、究極的には、当時の国家元首であり、現人神たる天皇自らが参拝すること(その死者のために祈ること)で、その死を崇高な死として演出する装置であったと言える。それは国の命令によって肉親を失った遺族の、国に対する反感の芽を摘み、むしろ進んで遺族に名誉を与えることで、次の戦争においても、スムースに兵を徴集するための政治的な装置として機能した。最近の政治状況を「劇場型政治」と揶揄する人も多いが、靖国神社こそは、当時の(戦争を否定しない)国家における巨大な「劇場的装置」だったのである。神社という名称からの印象によって宗教施設として捉えるべきではない。それは(当時の西洋列強に仲間入りした)軍事国家たる日本にとって、必須かつ極めて重要な国家機関だったのである(敵の死者の祟りを恐れないという点では、日本の伝統から外れてさえいる)。
終戦後、憲法9条によって国が戦争を放棄し、天皇が象徴とされて人間宣言を行った時点で、だから靖国神社は「国家装置としては不要」になったと言える。国の機関でなくなったのは当然である。
だからと言って、「靖国神社で会おう」と言って、あるいは「靖国に帰る」と信じて死んでいった数百万の死者の存在、その莫大な数の遺族の感情を考えれば、靖国神社という存在を「廃止」することなどできようはずもなかった。靖国神社が「民営化」され、遺族がその家族である戦死者の冥福を祈るための場として残されたのは理解できる。日中戦争・太平洋戦争で戦死した兵士の数は、それ以前の戦死者の総数をはるかに超える。しかも、それ以前の戦争のときよりも、より強く「靖国」が喧伝された戦争における戦死者であり、遺族である。靖国神社は、これらの遺族が「死者に会いに行く」、そのための専用の「宗教施設」として残された、あるいは「新生」したのだと考えることも可能であろう。
ひとつの可能性としてだが、この時点で、靖国神社が軍事国家の国家機関たる従前の役割から踏み出し(というよりも日本人の本来の慣習に立ち戻って)、日本側の兵士だけでなく、このときの戦争でなくなったすべての死者たちを、敵味方の区別なく、しかも兵士だけでなく、戦争に巻き込まれて死んだ民間人を含むすべての人たちを慰霊するための施設になることを宣言し、その実現を目指していたとしたら、どうだっただろうか? 困難な面が多かったろうことは否定できないが、絶対に不可能ということはなかったのではないか。
当時における可能性を考えるならば、その後の秘密裡のA級戦犯の合祀、付属施設における戦争正当化を意図した展示など、一宗教施設としての(あるいは一宗教法人としての)「節度」を失った「暴走」のようにも思われるのである。
ところで、明治後期から昭和初期にかけての政治状況や世相に関する本を読んでも、どこが戦争に至る節目であったのか容易に分からない。同時に誰がそれを主導したのかも分かりづらい。日本では「ヒトラー」に該当する人物を特定することができない。多くの人々が軍部の暴走と言うが、誰が悪かったのか、誰がそれを止めるべきだったのか、あるいは止められたのか…も必ずしも明らかではない。
無謀な戦争であったことは多くの人が認めている。同時に、やむを得ない戦争であったと言い、自衛のための戦争であったと言う人も少なからずいる。だが、仮に、何者かに脅かされた故の戦争だったとしても、それに対して何かを守ろうとしたか(あるいは何かを得ようとしたか)の意図にかかわらず、少なくとも、あれだけの死傷者、国の荒廃を招いた結果を考えれば、開戦を決意し、戦争を遂行したことは間違いだったことは明らかである。国益だろうが、国の体面であろうが、何であれ、あれだけの国民の犠牲を賭けられてはたまらない。
さらには、無茶な徴兵を行い、無茶な出兵を行った。開戦前の何倍にも膨れあがった軍隊を武器を持たせて外国に展開した。水ぶくれの軍隊である。当然、軍が本来持つべき規律ある行動など期待できるはずもなく、各地で非人道的な行為が行われるのは明らかだった。その点においても、誤った戦争であったことは疑えない。
あの戦争はやはり間違った戦争だった。そしてそれは、やはり誰かに責任があることだったはずである。
しかし、日本は自ら誰にその責任があったのかを究明したわけでも、誰かを糾弾したわけでもなかった。日本では誰かに責任が集中しないような、ある種伝統的な「体制」がある。それは組織としてそうであるというより、運用における心理面としてあるような気がする。誰かが誰かの恨みを集中的に受けるような事態を慎重に避ける。そして何事かが起きた後でも、真相の究明をどこかであやふやに済ませてしまう。それは現代社会でも何らかの不祥事が起こる度に変わらずに繰り返される見慣れた光景である。
だが、単なる国内問題ではない、他の多くの国々(日本的な曖昧さが許されない他の国々)を巻き込んだ「戦争」の戦後処理において、そのようなことが可能であったのは、実態はどうあれ、東京裁判が戦争指導者をA級戦犯として裁き、同時に一般の日本国民を誤った戦争指導の犠牲者と見なしたからであり、そのことによって、多くの国民もまた、自らを犠牲者であったと見なすことができたからである。
子どもの頃、A級戦犯について初めて学んだとき、疑問に感じたのは、なぜこんなに少ないのか? ということだった。さらに本当にこの人がA級戦犯なの? と思う人も含まれていると知って、ますます分からなくなった。A級戦犯に関する東京裁判は、理詰めに考えれば確かに矛盾に満ちたものであろうし、責任の所在が明らかでない日本の「体制」、さらに天皇を断罪しないという前提が、その分かりにくさを加速したことは疑えない。だが、戦争の責任を(形式的にせよ明らかにし)誰かに引き受けさせることによって、日本を国際社会に復帰させるという意図を明確に果たすものではあったとは言える。戦後日本の復興は、国際的な受容においても、それに取り組んだ国民一人一人の心理的な側面においても、その結果としてある。
東京裁判は誤った、正しくない裁判だったという意見はかなり以前から耳にする。だが、それを言い出すならば、おそらく戦争の責任の本当の所在はどこにあったかを改めて明らかにし、他の人々の了解を得、国内的にも国際的にもしかるべき手続きをどう踏むかということも、同時に言わねばならないだろう。それは戦後の日本のスタート地点に立ち戻る問題である。国民の内面にも切り込む刃を持つ問題である。誠実に取り組もうとするなら、それは恐ろしく多大な作業である。それだけの覚悟と意志があるような政治家がいまいるのだろうか。
A級戦犯が神として祭られている場所に、日本の公式な指導者が出向いて参拝し、頭を垂れることは、国内的にはまだ心の問題であると言えなくもないが(それすら怪しいが)、国際的には、明らかな外交問題であろう。彼らは悪くなかったというのか、彼らが指導したあの戦争は間違いではなかったというのか、それなら、戦後日本の国際社会への復帰など認めなかったのだ、という意見は当然出てこよう。だが、それに対する誠実な回答が用意されているようには思われない。
最近、海外から多くの懸念を持たれながら、まるで耳を貸さないような国がいくつかある。核開発が問題になっているイランや北朝鮮、市民への攻撃を厭わないイスラエルなどがそうだ。それらの国は、これは国内の問題であり、われわれにはそうする権利があり、他の国々の懸念は的はずれだと言う。問題の種類は違うが、少なくともその外交的態度としては、他の国々から見たとき、日本もそういった(イラン、北朝鮮などの)国々と同じように見られてはいないだろうか。
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