2006年10月 8日 (日)

教師クビ切りの果ての光景

先日、何気なくテレビをつけたら、安倍新内閣の閣僚が二人ほど出ていて、これからは駄目な教師はどんどん辞めさせると意欲満々で話していた。もはや若くもなく、少なくないローンを抱えているような大多数の教師たちは、どんな気持ちでこれを聞いていたことだろう。

少なくとも人の「生殺与奪」にからむ話である。その態度に傲慢ととられるようなところはないか、口にする側は十分な意識、自制を働かせるべきであろう。しかし、二人の閣僚に見えたのは、自分の新たに得た権限への自負と、自らの意欲を誇示するばかりの態度であり、そこには自分たちの発言が「教育の現場」にどのような影響を与えるか、という配慮は微塵も見えない。「混乱」を与えようとする側が、その「混乱」に対してまったく配慮を欠いている、というのは政治家としての資質を云々されても仕方あるまい。

全国の教師の中に、無気力で、熱意にも技術にも欠けるような人たちがいることは確かだろう。これほど多くの教師がいるのだ。優秀なキャリアばかりで固められていたはずの社会保険庁の杜撰さを思い出してもいい。どういう組織にもそういう層は存在すると考えていい(社保庁は何人辞めさせられたのか?)。

しかし、「教師をやめさせる」制度が実現したときに、まっさきにクビを切られるのは、こうした教師たちではなく、一定以上の熱意があり気力があって、それ故に校長・教頭や教育委員会(あるいは教育官僚)なりに、何かと意見を言ったり、はむかってきた教師たちであろう。「人」あるいは「人の組織」というのはえてしてそうしたものである。校長・教頭・教育委員会なりの人々はすべて私心がなく公平で、公明正大であるなんてことはあり得ない。そう信ずる人間がいたらとんでもない脳天気だろう。ダメ教師だが上には従順で逆らわない人間は後に回される。少なくともそうなる危険性は小さくない。

実際にそうして「駄目な教師」を辞めさせたとしよう。教師が足りなくなって、新たに雇用するしかないわけだが、日本のどこにそんな「優秀」な教師たちがころがっているというのだろう。今までだって、教師たちを採用してきたのは管理者側の方で、それなりに「優秀」な人たちを選抜してきたはずだ。駄目な教師が増えて教育が荒廃したというなら、まず責められるべきは、採用する側の見識のなさであろう。それを咎める前に教師個人ばかりを責めるのも何だかなぁとぼくには思われる。そこには(身内だから)ふれずに、「駄目な教師」を辞めさせる。さらにさきの選抜から漏れた「出がらし」から採用する。結局は、上の人間の言うことに従順な教師ばかりが増えることになるだろう。それを「教育の荒廃」と言うのではないか?

教師の給料は普通の公務員より高いからこれを切り下げようという話も出ていた。だが、その分、確か教師には残業手当がつかなかったのではなかったか。放課後や土曜・日曜の部活動も先生たちの無償の熱意に支えられているのではないか? そういう先生たちが、高く評価されて出世したという事例は、少なくともぼくの学生時代の教師たちにはあまり聞いたことがない。

駄目な教師が増えてきたというのは、裏を返せば、優秀な人が教師にならなくなったということだ。国が雇用者として優秀な人材を採用したいと思うなら、優秀な人材が集まるように努めなければならない。少なくとも普通の会社にとって、優秀な人材を集めるというのが、最大の難事であるように、それは国にとってもそうなのである。にもかかわらず、これまでよりも給料は下げる、駄目な教師はどんどん辞めさせると明言する。これがどれだけ「素晴らしい」雇用対策であるか、考えるまでもあるまい。

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2006年9月30日 (土)

「美しい国」は誰の国?

美しい国へ 安倍晋三の言葉には、ぼくはあまり魅力を感じない。言葉の選び方、その内容と展開、そして話し方のいずれも、ぼくらが首相という存在に期待していいはずのレベルには達していない。あるいは、安倍晋三は優れた政治家なのかも知れない、その可能性は否定できないが、仮に役者が有能な政治家の役をあのように演じたとしたら、それは「大根」以外の何ものでもあるまい。編集の効くテレビならまだしも、生の舞台はとうてい任せられない。

口下手だから駄目だと言うのではない。言葉の生まれてくるところの問題なのだ。安倍晋三の言葉には「理想」がない。いささか突飛な言い方かも知れないが「愛」がないのだ。チャップリンの映画「独裁者」の、あの最後の演説を思い出してみてもいい。おそらく政治家の言葉というものが、ある種の「理想」を帯びて聞く者の心に響き得るのは、彼が弱い人々の立場に立っているときである。では、安倍晋三はどこに立っているのか? そう考えるとき、彼の言葉の底が見えてくる。

安倍晋三の「美しい国へ」というフレーズは、一見、理想を語っているようにも見えるが、どうもそのようには響いてこない。
彼の考える「美しくないもの」を排除したり、なくしたりすることで、彼の考える「美しさ」を、「美しい国」を実現しようとしているのではないか。つまり、切り捨てられたり、見捨てられたりする者が出てくるということである。「君が代」を歌わないだけで辞めさせられる教師のように。「排除の理論」あるいは「純化」。ぼくにはそういう疑念が拭えない。近くは、小泉前首相が、自民党から彼の言う「抵抗勢力」を追い出したのと変わらない発想である。それを「国」全体にやろうとするのではないか。政党という単なる「組織」と、国という「国」としか呼べないような、人にとっての不可避な存在を一緒に考えられては困るのだ。「穏当な多様性の容認」。ぼくが政治に求めるのは基本的にはそういうものなのだが、安倍晋三は、どうもそうではない気がしてならない。

観念的な「美」あるいは「崇高さ」、これらがナショナリズムとむすびつくときの危険性というものに、少なくとも戦後の日本の政治家は意識的であるのは当然のこととぼくは思っている。戦前の歴史について学んでいれば、多少の立場の違いはあっても、当然そうであろう。だからこそ、安倍晋三が「美しい国」「誇りのある国」を言い、同時に「戦争ができる国」を目指すかのような発言を続けるとき、少なくとも彼は最優先には「国民」のことを考えてはいないなと思えてしまう。確かに「国」のことは考えているだろう。だが、それは誰の「国」なのか?

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2006年8月17日 (木)

靖国神社についてのメモ2

一連の騒動のなかで「靖国神社は日本の伝統であり文化」というフレーズを何度となく耳にした。

前回にも書いたとおり、靖国神社というのは、国家として徴兵をスムーズに実施し、自由に戦争を遂行できるようにするための人工的な装置(天皇を必須の出演者とする劇場的装置)であって、それ自体は日本の歴史においては、きわめて特殊な存在である。

靖国神社は、(1) 日本が国家としていつでも海外戦争を開戦可能であり、(2) 国民一人一人の意志にかかわらず国家が自由に国民を徴兵可能であり、(3) さらに天皇が国家元首であり、かつ現人神とされていること、というきわめて特殊な条件下において創設され、存続し得たものであって、それは長く見積もっても、明治から終戦までのわずか70年程度の長さの存在にすぎない。それが国民の多くに浸透したと言えるのは、日本が泥沼の戦争に突入していった、後半の数十年程度のことである。戦後の歳月はすでに60年以上が過ぎ、靖国が靖国であった時間を、実質としてはすでに超えていると考えて良い。

あの時代は良かった。あの時代よもう一度という、過去に拘泥したい理由のある一部の人間の思惑を脇に置いて、理性的に見直す限り、靖国神社という存在は、決して伝統的な存在でも、日本の文化でもない。その本質においても、その存在の長さにおいても、である。

歴史を見るというのは、たぶん、ある程度の年齢を必要とする。子どもの時間感覚と老人のそれとは異なる。わずか数十年の鬼っ子的な存在を日本の伝統と言ったり、文化と言ったりするのは子どもの時間感覚であり、さもなければ、想像力の欠如と言うべきであろう。

にもかかわらず、それが伝統とされたり、文化であると一部の人々が強弁できたりするのは、それが宗教という外貌を持っているからにほかならない。宗教という外貌を持って、実は、宗教とは関係ないところで人々を支配し、縛りつけている、というのが、戦国時代末期、織田信長が目の敵とした「宗教勢力」である。それは、織田信長の時代とともに滅びたわけではない。そういうマインドコントロールに日本人は本来的に弱い性向がある。一神教的伝統を持たない日本人は、悪意(法律における善意・悪意の悪意です)を持って強弁されると、それを否定できない。否定する根拠を持たない。強圧的な「布教」に弱い所以である。靖国神社というものも、そういう日本人に有効な「効力」を計算した上で、人工的に構成され、強制された国家の「虚構」にすぎない。それは決して宗教的な施設ではないのである。

たとえば、この点においても、織田信長ファンを自称する小泉首相が、実は、織田信長をたいして理解していない、ということが分かる。政治家の「歴史認識」というのは、さきの大戦に対する認識ばかりではない。そんなことをわざわざ言わねばならないというのは、実際、情けないことではないだろうか。

小泉首相に比べ、カリスマ性に乏しいされる安倍官房長官に、靖国問題での軟化を期待する向きもあるが、長州と靖国神社という過去の経緯を踏まえる限り、長州出身の安倍さんには期待するだけ無駄というものだろう。繰り返しになるが、権力者が「美」を口にすることの「いかがわしさ」に無神経であるという一点だけでも、指導者としての徳に欠けていることは明らかである。

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2006年8月13日 (日)

靖国神社についてのメモ

小泉首相や安倍官房長官の参拝問題を中心に、最近、靖国神社に関する議論が盛んだ。
ぼくは、きちんとした研究者ではないし、勤勉ですらない。基本的には、TV・新聞や雑誌等で目にするだけだが、とりあえず自分のためのメモとして、いまの時点での靖国問題についての自身の印象や感想を整理しておきたいと思う。

古来、日本には争いが終われば、敵味方の区別なく死者を弔うという、伝統というか、習慣というか、そういう発想のようなものがあったと思われる。これは、恨みを残して死んだ者は祟るという怨霊観の裏返しとして、死者を鎮魂することで祟りを逃れたいという心理からだとも言われるが(同じ理由から、死者の罪状を糾弾し続けるようなこと=死者を鞭打つような行為もあまり好ましいこととはされてこなかった)、長い歴史のうちに、そのような「恐れ」の感情はややもすれば無意識下に沈み、敵味方の区別なく死者の冥福を祈るということが、人における好ましい態度として定着してきたという一面もあったように思われる。

その伝統(あるいは慣習)から見れば、実は、靖国神社というのは「異質」な存在である。

靖国神社は敵側の死者を弔うことはしない。国の命令によって戦地に赴いて死んだ死者の死に栄誉を与え、究極的には、当時の国家元首であり、現人神たる天皇自らが参拝すること(その死者のために祈ること)で、その死を崇高な死として演出する装置であったと言える。それは国の命令によって肉親を失った遺族の、国に対する反感の芽を摘み、むしろ進んで遺族に名誉を与えることで、次の戦争においても、スムースに兵を徴集するための政治的な装置として機能した。最近の政治状況を「劇場型政治」と揶揄する人も多いが、靖国神社こそは、当時の(戦争を否定しない)国家における巨大な「劇場的装置」だったのである。神社という名称からの印象によって宗教施設として捉えるべきではない。それは(当時の西洋列強に仲間入りした)軍事国家たる日本にとって、必須かつ極めて重要な国家機関だったのである(敵の死者の祟りを恐れないという点では、日本の伝統から外れてさえいる)。

終戦後、憲法9条によって国が戦争を放棄し、天皇が象徴とされて人間宣言を行った時点で、だから靖国神社は「国家装置としては不要」になったと言える。国の機関でなくなったのは当然である。

だからと言って、「靖国神社で会おう」と言って、あるいは「靖国に帰る」と信じて死んでいった数百万の死者の存在、その莫大な数の遺族の感情を考えれば、靖国神社という存在を「廃止」することなどできようはずもなかった。靖国神社が「民営化」され、遺族がその家族である戦死者の冥福を祈るための場として残されたのは理解できる。日中戦争・太平洋戦争で戦死した兵士の数は、それ以前の戦死者の総数をはるかに超える。しかも、それ以前の戦争のときよりも、より強く「靖国」が喧伝された戦争における戦死者であり、遺族である。靖国神社は、これらの遺族が「死者に会いに行く」、そのための専用の「宗教施設」として残された、あるいは「新生」したのだと考えることも可能であろう。

ひとつの可能性としてだが、この時点で、靖国神社が軍事国家の国家機関たる従前の役割から踏み出し(というよりも日本人の本来の慣習に立ち戻って)、日本側の兵士だけでなく、このときの戦争でなくなったすべての死者たちを、敵味方の区別なく、しかも兵士だけでなく、戦争に巻き込まれて死んだ民間人を含むすべての人たちを慰霊するための施設になることを宣言し、その実現を目指していたとしたら、どうだっただろうか? 困難な面が多かったろうことは否定できないが、絶対に不可能ということはなかったのではないか。

当時における可能性を考えるならば、その後の秘密裡のA級戦犯の合祀、付属施設における戦争正当化を意図した展示など、一宗教施設としての(あるいは一宗教法人としての)「節度」を失った「暴走」のようにも思われるのである。

ところで、明治後期から昭和初期にかけての政治状況や世相に関する本を読んでも、どこが戦争に至る節目であったのか容易に分からない。同時に誰がそれを主導したのかも分かりづらい。日本では「ヒトラー」に該当する人物を特定することができない。多くの人々が軍部の暴走と言うが、誰が悪かったのか、誰がそれを止めるべきだったのか、あるいは止められたのか…も必ずしも明らかではない。

無謀な戦争であったことは多くの人が認めている。同時に、やむを得ない戦争であったと言い、自衛のための戦争であったと言う人も少なからずいる。だが、仮に、何者かに脅かされた故の戦争だったとしても、それに対して何かを守ろうとしたか(あるいは何かを得ようとしたか)の意図にかかわらず、少なくとも、あれだけの死傷者、国の荒廃を招いた結果を考えれば、開戦を決意し、戦争を遂行したことは間違いだったことは明らかである。国益だろうが、国の体面であろうが、何であれ、あれだけの国民の犠牲を賭けられてはたまらない。

さらには、無茶な徴兵を行い、無茶な出兵を行った。開戦前の何倍にも膨れあがった軍隊を武器を持たせて外国に展開した。水ぶくれの軍隊である。当然、軍が本来持つべき規律ある行動など期待できるはずもなく、各地で非人道的な行為が行われるのは明らかだった。その点においても、誤った戦争であったことは疑えない。

あの戦争はやはり間違った戦争だった。そしてそれは、やはり誰かに責任があることだったはずである。

しかし、日本は自ら誰にその責任があったのかを究明したわけでも、誰かを糾弾したわけでもなかった。日本では誰かに責任が集中しないような、ある種伝統的な「体制」がある。それは組織としてそうであるというより、運用における心理面としてあるような気がする。誰かが誰かの恨みを集中的に受けるような事態を慎重に避ける。そして何事かが起きた後でも、真相の究明をどこかであやふやに済ませてしまう。それは現代社会でも何らかの不祥事が起こる度に変わらずに繰り返される見慣れた光景である。

だが、単なる国内問題ではない、他の多くの国々(日本的な曖昧さが許されない他の国々)を巻き込んだ「戦争」の戦後処理において、そのようなことが可能であったのは、実態はどうあれ、東京裁判が戦争指導者をA級戦犯として裁き、同時に一般の日本国民を誤った戦争指導の犠牲者と見なしたからであり、そのことによって、多くの国民もまた、自らを犠牲者であったと見なすことができたからである。

子どもの頃、A級戦犯について初めて学んだとき、疑問に感じたのは、なぜこんなに少ないのか? ということだった。さらに本当にこの人がA級戦犯なの? と思う人も含まれていると知って、ますます分からなくなった。A級戦犯に関する東京裁判は、理詰めに考えれば確かに矛盾に満ちたものであろうし、責任の所在が明らかでない日本の「体制」、さらに天皇を断罪しないという前提が、その分かりにくさを加速したことは疑えない。だが、戦争の責任を(形式的にせよ明らかにし)誰かに引き受けさせることによって、日本を国際社会に復帰させるという意図を明確に果たすものではあったとは言える。戦後日本の復興は、国際的な受容においても、それに取り組んだ国民一人一人の心理的な側面においても、その結果としてある。

東京裁判は誤った、正しくない裁判だったという意見はかなり以前から耳にする。だが、それを言い出すならば、おそらく戦争の責任の本当の所在はどこにあったかを改めて明らかにし、他の人々の了解を得、国内的にも国際的にもしかるべき手続きをどう踏むかということも、同時に言わねばならないだろう。それは戦後の日本のスタート地点に立ち戻る問題である。国民の内面にも切り込む刃を持つ問題である。誠実に取り組もうとするなら、それは恐ろしく多大な作業である。それだけの覚悟と意志があるような政治家がいまいるのだろうか。

A級戦犯が神として祭られている場所に、日本の公式な指導者が出向いて参拝し、頭を垂れることは、国内的にはまだ心の問題であると言えなくもないが(それすら怪しいが)、国際的には、明らかな外交問題であろう。彼らは悪くなかったというのか、彼らが指導したあの戦争は間違いではなかったというのか、それなら、戦後日本の国際社会への復帰など認めなかったのだ、という意見は当然出てこよう。だが、それに対する誠実な回答が用意されているようには思われない。

最近、海外から多くの懸念を持たれながら、まるで耳を貸さないような国がいくつかある。核開発が問題になっているイランや北朝鮮、市民への攻撃を厭わないイスラエルなどがそうだ。それらの国は、これは国内の問題であり、われわれにはそうする権利があり、他の国々の懸念は的はずれだと言う。問題の種類は違うが、少なくともその外交的態度としては、他の国々から見たとき、日本もそういった(イラン、北朝鮮などの)国々と同じように見られてはいないだろうか。

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2006年7月30日 (日)

江戸幕藩体制と現在世界の類比

たいそうなタイトルだが、ぼくは別に専門家でも研究者でもないので、今日のは単なる素人の印象論、思いつきの感想である。

明治維新というのを考えると、徳川幕府が倒され、天皇中心の体制に変わったということよりも、たぶん「藩」がなくなったということ、つまり「廃藩置県」というのが、誰にとってもより激しい「革命の本質」であったように思われる。

「藩」というのは(おそらく)そこに住む人にとっては、紛れもなく「ひとつの国」であって、自分の住む「国」がなくなるなんて、多くの人はたぶん夢想だにしていなかったに違いない。これらの「国」のほとんどは、少なくとも江戸時代二百数十年以上続いていたのであり、対して、現在の「日本」という「国」は明治以来、まだほんの150年も経ってない。「戦後日本」という言い方をすれば、たったの60年である。ぼくらが現在の「日本」を考えるより遥かに、当時の人々にとって「藩」は揺るぎない存在であったように思われるのである。

その「藩」がいっぺんになくなる。内戦を経て「幕府」が瓦解した後の一種の虚脱状態にあったとは言え、よくこんなことができたものだと思う。古い時代ではない。まだ150年程度の近過去の人々である。ぼくは、後に続発する「不平士族の反乱」というのは、「武士」という身分の剥奪もさることながら、自分のよって立つ「国」がなくなったという「胸底の思い」も大きかったのではないかと思う。たとえば、いま「日本」という国がなくなると想像してみたらどうだろう。きっととんでもない騒乱が持ち上がるに違いない。当時はその表現として「反乱」しかなかったということなのだ。

なぜこんなことを考えたかと言えば、江戸の幕藩体制と、現在の「世界」を比べてみたらどうだろうとふと思いついたからだ。

東西冷戦が終結し、アメリカが「世界の盟主」となった以後の世界は、同じく武力を背景とした盟主・徳川家のもとに各藩が従っていた江戸幕藩体制をどこか彷彿とさせる。当時の「地方藩」の人々にとって、「日本」というのは観念的な存在であり、それは現在のぼくらにとっての「世界」と大きく異なるものではなかったように思われる。

では、いまのアメリカは、幕府草創期に危険と思われる諸藩を次々に取り潰し、その覇権を確立していった頃の幕府なのか?
あるいは、反抗的な長州藩に繰り返し「戦争」をしかけながら、それに失敗して「威信」を失っていった幕末の頃の幕府なのか? これはなかなか難しい問題かも知れないが、ぼくにはどうにも後者のように思われてならない。

冷戦が終結した後の世界は、少なくともこの数年は、人類は「理想」を語ることをやめ、「現実主義的な対応」ばかりに「奔走」してきたように思われる。冷戦終結を境に、世界は様々な問題が表面化し、しかもその多くは解決の方向すら見出されていない。地球温暖化、異常気象、それらを含む環境問題、やがて枯渇が懸念される資源の問題、その多くは時間的制約が明確なのにもかかわらず、「世界」的には何ら有効な対策がとられてはいない。これらは幕末期に表面化した様々な問題に「現実主義的な、しかし無能な」対応しかとりえなかった「徳川幕府」と何ら変わるところはない。

極論かも知れないが、えてして「盟主」が最重要視するものは「盟主の威信」であって、「世界」全体ではなかったりする。

明治維新に「廃藩置県」が必要だったのは、当時の様々な問題に対応していくには、たぶんそれ以外に方法がなかったからだ。

だから、以下は、ぼくの単なる夢想である。いま、世界を見舞う様々な問題に対応していくには、人類にとっての「次の段階」に移っていくことがやはり必要なのではないか。もちろん、あまりにも規模が大きいし、江戸時代の「藩」と現在の「日本」がまったく異なるように、それは単なる「世界統一国家」というような単純なものではないだろう。だが、「次の段階」を理想として掲げ、語る声が、そろそろ目に見え、耳に聞こえてくるようになってもいい頃なのではないか。そして、そうなれば、現在の様々な問題に対する取り組みのあり方も、自ずと変わってくるのではないか。

当時の人々が「藩」がなくなることを想像できなかったように、いま、ぼくらは「国」がなくなることを想像することはできない。だが、それは決してそうならないということを保証するものでもない。そして、仮に、また遠い将来に、そうなったとしても、「威信」とか「メンツ」とか、そういうものでない「地域性」というものは、ずっと残っていくものなのだと思うのである。

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2006年7月22日 (土)

福田康夫氏不出馬への失望

福田康夫氏が、次回の自民党総裁選に出馬しないことを正式に表明したらしい。

一般論としてだが、ある体制なり組織なりが危機に見舞われたとき、勢いのいいことばかりを言う人間というのは、本気で言っている者も、腹にいちもつあってそのように振る舞って見せている者も、どちらも危険だということにおいて変わりはない。それが責任のある立場の人間ならなおさらだ。

そんなわけで、始終苦虫をかみ潰したような顔をして、口の重い(そうでないときもあるが)福田氏に、消去法ながらぼくは期待を抱いていたので、少しばかり落胆した。今後、自民党の総裁選はどのように推移するのだろう。

司馬遼太郎に「明治という国家」という本がある。1989年の発行である。精神の歴史として明治国家をとらえ直したような内容で、ときおり読み返してみることがある。

第三章「江戸日本の無形遺産“多様性”」では、全国の藩が江戸時代二百数十年にそれぞれに涵養し得た精神の多様性について述べていて、それぞれが後に「明治」に果たした役割を頭において考えると興味深い。


「長州人タイプ」
という言い方があります。頭がよく、分析能力をもっている。また行政能力に優れ、しばしば政略的でもある。権力の操作が上手で、とくに人事の能力に長けている。

     *

長州藩は書生の集まりのようなもので、たえず百家争鳴しています。この書生の親玉である高杉晋作は天才的な人ですが、一時期、野党にまわって四国の讃岐に亡命していたとき、
「わが藩の者は、秘密を守れない。いつも漏れてしまう」
と、同志に対する手紙のなかでこぼしています。長州人にとって“動カザルコト山ノ如シ”というのは、にが手なのです。

     *

――長州藩は、書生たちが藩を牛耳っていて、やることなすことがめちゃくちゃだった。四カ国艦隊を相手に一藩だけで戦争をしたり、幕府に両度にわたって攻められたり、あのままでゆけばつぶれていたろう。
ということがいえます。たしかに長州藩はつぶれていたでしょう。


ぼくは臆病なので、危機にあたって勢いのいいことを言う政治家にはそれだけで不信を抱く嫌いがある。「明治」から昭和前期へのターニングポイントになったのは、たぶん日露戦争後の世論の沸騰であり、そこには明治維新以来、軍備拡充のために大きな負担を強いられた国民の長い不満があったのだと思われる。現在の日本にも長い不況を強いられた不満の蓄積があり、そこを利用する政治家の思惑もあるのではないか。戦前のドイツでナチスが台頭したときも同じような状況があったはずだ。

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2006年7月21日 (金)

ノストラダムスの大予言と北朝鮮問題

ノストラダムス大予言原典―諸世紀 子どもと話していて、映画「日本沈没」のことから、いつの間にか「ノストラダムスの大予言」が話題になった。
中1の子どもが知っているのが不思議なくらい古い話だが、昔のマンガにでも載っていたのを見たのだろう。

ぼくは、年齢的にも当然ながらこの本を買っている。なぜか今も持っている。
奥付を見ると、1973年初版である。奇しくも(現在の子どもと同じ)ぼくが中1のときだ。もっとも、実際に読んだのはもう少し後のことだったと思うが。

作者は五島勉氏。ぼくは印象的には、同氏の「宇宙人謎の遺産」という本の方が記憶に残っている。こちらは「大予言」より2~3年後に出ている。同じ頃に海外ではデニケンの「星への帰還」などが話題になっていたが(これは兄が買っていたのを読んだ)、それらと同じ傾向の本で、後半部分の宇宙人の出自に係る大胆な仮説がなかなか面白かった。五島氏の著作には、取り上げる素材は異なっても何となくロマンがある点が共通していて、今読んでも当時立て続けにベストセラーになったのが納得できる。才能のある人だったのだろう。

さて、ノストラダムスの大予言である。例の「人類滅亡の予言」の詩は、この本では次のように訳されている。


  一九九九の年、七の月
  空から恐怖の大王が降ってくるだろう
  アンゴルモワの大王を復活させるために
  その前後の期間、マルスは幸福の名のもとに支配するだろう


当時出た類似本の中で、細かい理由は忘れたが、1999年というのは、実は別の年と理解すべきだというのもあって、ぼくはひそかに、この予言はまだこれからのことなのではないかと思っていたりする。

たとえば、現在の北朝鮮の問題に、この予言を重ねてみるのはどうだろう。ミサイル、大量の難民、軍部の支配。牽強付会を重ねれば、両者を関係づけて見せるのも不可能ではなさそうだ。

別にそう主張したいわけではない。だが、最近の北朝鮮の問題が「人類滅亡」のきっかけにならないとは言い切れない。人類の理性に対する信頼は、近年ずっと下降しっぱなしではないか。ぼくは臆病なので、今回の事件に関する日本政府の対応は、どこか慎重さを欠いているような気がしてならない。

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2006年6月30日 (金)

なにか息苦しいなぁ。

6月ももうすぐ終わり。1年の半分だ。人類の進化曲線みたいに時間が加速している。身体の方がやがてその加速についていけなくなり、ある日を境に急激に老化が進むというわけだ。時間の加速を漸減させるような生活の仕方を考えなければならない。とか思い始めると、もうなんだか何かの円環に閉じこめられてしまっているような気がする。息苦しいなぁ。

アメリカのブッシュ大統領と小泉首相の共同記者会見を最後の方だけテレビで観る。

部分的に聞いただけだが、小泉首相は、さきの大戦を「アメリカとの大戦」と言い切り、その「反省」の内容は「アメリカに逆らってはいけない」ということであって、だから日本は(外交も内政も)戦後ずっと「アメリカ重視で来た」のだ ~ とも(極言すれば、そんなふうにも)とれるような発言をしていたような気がする。せめてもう少しアジア各国に配慮したような言い回しがあってもいいように思われるのだが、アメリカでの記者会見であり、アメリカ国民向けの発言と割り切っているのだろうか。

同盟国の首脳であれば、当然あってもよい米議会での演説が、靖国問題を懸念する下院議員の誰かの反対によって流れたという話も聞いているが、小泉首相は、日本国内での発言でも、何らかの普遍的な価値観に寄与するような、哲学的・倫理的な言説をついぞ聞いたことがない。案外、小泉首相自身は、そんな堅苦しいものなくて良かったと思っていたりするのじゃないだろうか。

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