2009年5月20日 (水)

ブログ移転作業中です

縦書きコラムの仕組みを新たに作成したのを機に、ブログを移転することにしました。

蛙の庭 詩かも知れない
蛙の庭 縦書き詩集ブログ版

このブログの記事は「詩かも知れない」の方に移転予定です。単純に引っ越しというわけにもいかないので、完全移行には少し時間がかかると思いますが、どうか新しいサイトの方にお越しください。

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2006年8月 6日 (日)

8月6日大分市の花火

今年の大分市の夏の花火です。大分川の河畔。自宅のベランダからの写真です。なかなか見応えありました。

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2006年7月16日 (日)

高校野球、夏の県予選

近くの野球場で、連日、高校野球の夏の県予選が開催されている。
太鼓やバチや歓声やアナウンスやサイレンがひっきりなしに響いてくる。
夏だ。気持ちのいい夏の風物詩だ。(ときおりは、ちょっとうるさいと思わないでもないけど…)

そういうわけで、昨日は久しぶりに高校野球の観戦に出かけてみた。
いくらか入場料がとられるとは思っていたが、500円は少し高いか? もっとも再入場は可能らしいので、ぼくのように近くに住む人間には便利だ。ベスト8やベスト4の試合など、うまく休日に合えば楽しめそうだ。

試合は、これに勝てばベスト16にあがるという試合で、何回か甲子園にも出た(と思う)「柳ヶ浦」が登場していた。
今大会は、第3シードらしく、優勝候補本命というほどではないのかも知れないが、試合は11対2の7回コールドで圧勝。

最近は、高校野球でもバッターボックスに立つとき、手袋をするようになっているらしく、皆が皆、手袋をしているのにびっくりした。色も別に決まっているわけでないのか、白がほとんどだったが、黒の手袋をしている打者もいて、これは遠目に見ていてもかっこいい。

スナップの利いたピッチャーの投球を見るのも気持ちいい。最後の方に出てきたピッチャーは、制球が悪い上にやや単調でもあったが、何となく小気味が良かった。低めに決まると、キャッチャーのグラブがいい音を出していた。

試合後、球場を出るとき、応援団の女の子が号泣しているのを見た。横の2人が慰めるように何か話しかけている。
すべての試合で、こういうふうに泣いている子が何人かいることだろう。

別にあれほど泣くほどのことはないと、後からは思うのだが、あれは自然に泣けるので、そういうときは思いきり泣いていいのだ。

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2006年7月 8日 (土)

休日の過ごし方

Ades 今週末、妻は東京へ出張。8月の初めにはアメリカ出張らしい。せっかくの休みなのに大変なことだ。もっとも以前の自分もそうだったわけだが。

ひとの休みの過ごし方には、大きく分けてふたとおりあるような気がする。

とにかく朝はゆっくりと寝て、目が覚めてからおもむろに動き出すタイプ。休日でも朝は普通に起きて、さっさと休日の用事を済ませ、眠ければ昼寝で疲れをとろうとするタイプ。

厳密に言うと、朝いつまでも寝ていられるタイプと、決まった時間にとりあえず目が覚めてしまうタイプ、といった方がより正確かも知れない。

妻は前者で、ぼくは後者だから、どうにも噛み合わない。こういうのは一緒に暮らしてみないとなかなか分からない。いや、最初はどちらも少しずつ我慢し合って合わせるものだから、しばらく経ってみないと分からないものなのだ。

それでも十数年暮らしていると、不思議に家族としての休日の過ごし方が決まってくる。その家族としての過ごし方というのは、どうにも言葉では明確にタイプ分けできるものではないのだが。

子どもはいまのところ、ぼくの方のタイプだが、まぁこれも分かったものではない。現に、お目当てのテレビがないときは、かなり遅くまで寝ていることもできるようだ。

 朝顔の螺旋のごとき心あり花凜として夏は来たりぬ

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2006年6月12日 (月)

大分県立図書館

4月の末に大分市に転居し、県立図書館まで車なら10分足らずで行けるようになった。
鹿児島に住んでいた頃は、とにかく忙しかった上に、自身が県職員でもあったので、図書館を利用したことがなかった。
会社員の今は何だか気軽に行ける気分もあって、先週の日曜、利用カードを作ってみた。

実は引っ越しの際のあまりの本の多さに(自分の分だけでなく、妻の分も、子どもの分も)できるだけ本を減らす(これ以上増やさない)必要を痛感させられたというのも理由のひとつ。

先週さっそく借りたのは、宮城谷昌光の「三国志第三巻」。今日は井沢元彦の「逆説の日本史第10巻」を借りた。
検索したところ、田川建三の著書も何冊かある様子。詩書関連のコーナーをちらと見ると「蔵原伸二郎研究」なるタイトルもあった。歴史関係も充実していそうで、しばらくは退屈しないで済みそうだ。

IT化もそれなりに進んでいて、明るい館内の雰囲気も相まって好印象だが、まぁ内部的にはいろいろあるのだろうな、たぶん。

いっぺんに十数冊も借りる人が、しかも普通に思う以上に多数いるのには驚かされる(そのせいで貸出処理機の前に行列が出来るのはかなわないが)。ほかにすることがないのかと思うのは余計なお世話だろうけれど。しかし、そういう人たちの利用数が「実績」としてカウントされ、毎年の予算を確保させているという面もあるのだろうな。

  図書館は西陽が似合ふ桃色に頬染めて少女消ゆる棚先
  暫し待ち棚を曲がれば躊躇ひを必ず悔ゆと知りて幾許
  少女の時間少年の時間加速する時合はずして図書館暗し
  本閉じるその間にすつと挟まれて図書館に死す少年の果て

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2006年6月 6日 (火)

蛍を見にいく

土曜日に蛍を見に行った。
大分県佐伯市本匠地区(合併前は本匠村)というところにある「牧山の湯」という温泉。番匠川という川沿いに、狭くくねる道をのぼった先の「山中」と言って良い場所にポツンとある温泉だ。この温泉の裏手の川が蛍の名所になっている。

知人に教わって初めて行ってみたのが4年前。このときは、千とも万とも思える蛍の乱舞がそれは見事だったが、それ以後は、いわゆる「最盛期」になかなか行き当たらない。

今年も5月の天候が不順だったので、あまり期待してはいなかったのだが、案の定というか、今年は特に全然駄目だった。よく見ると、川の上手の方の山が、昨年の台風のせいか木がなぎ倒され、山肌がむき出しになっている。あれでは、雨の度に濁流が川岸に流れ込んでいるはずで、あるいは、そのせいもあるかも知れない。

わずかに十数、多く見ても二~三十というところだったろうか? だが、それはそれで乱舞とは違う風情もあるとは感じた。

 ほらあそこあちらもほらと数へつつ星を見紛ふ走りの蛍
 糸を曳くごときは記憶の廃園の泉に群れし蛍の軌跡
 弾ませて図鑑の蛍の解説を語れる吾子の遅き初恋


たぶん、今年の盛りは、来週末かその先ぐらいだろうか? なかなか続けては出かけられないので、また「来年の楽しみ」ということになるかも知れない。

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2006年6月 2日 (金)

仰げば尊し蛍の光

先日、家族で夜遅くにスーパーで買い物をしていたら、閉店時間を知らせる「蛍の光」が流れた。
帰りの車の中で、どういういきさつだったか、この曲の話題になったのだが、中学一年の息子が(もちろん曲自体はあちこちで耳にしたことはあるようなのだが)もともとの「蛍の光」という唱歌を知らず、なぜどこもかしこも閉店間際にこの曲を流すのか、まったく分からなかったというのを聞いてびっくりしてしまった。

じゃあ「仰げば尊し」は知っているかと聞くと、それはちょっとだけ習ったが、歌詞も難しくてほとんど憶えていないという。

うちの子は親に似てか、もしくには似ずにか、どこかぼんやりしたところのある子供で、その言には100%の信頼は置きがたいのだが、まぁ、そういう状況なのは間違いあるまい。

確かにどちらも文語の歌詞で、現在のこの国には失われたり分からなくなったりしたものたちが歌われているので、有り体に言って、古くて今風じゃないということなのだろうが、歌詞だけを言えば、どう考えても戦後の日本にそぐわない「君が代」を無理に歌わせて政治の具にするよりも、「蛍の光」や「仰げば尊し」あたりの歌詞をしっかり解説して教える方が、情感というか、情操というか、ぼくにはよっぽど有益ではないかと思われる。実際、文語で意味も分かりにくい「君が代」の歌詞は、学校ではどんなふうに解説されているのだろう。まさか、パスしたりはしてないよね。

ところで、今日から早くも6月に入り、蛍の季節となった。今朝の新聞にも乱れ飛ぶ蛍の写真が出ていたが、先月は雨がちで寒い日も多かったので、今年の大分県内の蛍はどんなだろう。今週末の夜にでも出かけてみたいが。

闇夜川蛍一斉に明滅しわずかにずれるをしばし凝視す

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2006年6月 1日 (木)

川好きのたわごと

小学校5年から中学の1年まで、鹿児島は「霧島」の麓の町に住んだ。自宅から学校まで2キロほどだったろうか。その半分以上が川沿いに歩く道だった。道の向こうには霧島連峰が見渡せた。雨上がりの朝の緑・空の青・稜線の鮮やかさは言葉にできないほど美しかった。

川は「天降川」と書いて「あもり川」と読む。天から雨が漏れてきてできた川 ~ と単純に考えていいかどうかは分からないが、10歳の頃のぼくはそう理解していた。途中に一ヶ所、誰が渡るのか分からない、古くて小さな吊り橋があった。一度だけ足を踏み入れてみたが、どうにも怖くて渡りきることはできなかった。

この川では小魚を釣り、その小魚で罠を仕掛けてウナギをとった。もっともウナギが掛かっていたのは友だちの罠ばかりで、ぼくのはまったく駄目だった。仕掛ける場所に経験が要るのだ。

14歳から16歳にかけての2年ほどは、鹿児島市街の「永田川」の近くに住んだ。市街の住宅地を流れる川らしく、両側の堤防の上が、人や自転車のみが通れる細い道になっていて、思春期の入口にあったぼくは、その川沿いの道をよく散歩した。本人は「彷徨っている」つもりだったが、たぶん傍目にはそんな高尚なものではなかったろう。釣り糸を垂れている人もいるにはいたが、まともな魚が釣れていたのかどうか。

30代後半から40代はじめにかけて住んだのも、同じ「永田川」沿いのもっと下流の方で、妻にはからかわれながらも、ぼくは川が近くにあるマンションを頑固に主張した。今度引っ越した大分市のマンションからも、実はほんの200メートルほどで川の堤の上に出ることができる。これはたまたまだが、もちろん気に入っている点だ。

五月雨の長き湿りの立ち込めて街の河口の静かなる夜

今度の川(大分川)は少し大きすぎて、情緒に欠ける気がしないでもないが、贅沢は言っていられない。これからの季節ごとの散策が楽しみだ。

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2006年2月28日 (火)

* ビスケットの日

ビスケットの日のことを
むかし教えてくれた娘がいて
その日が何日だったのかも
そのこの顔さえも
もう忘れてしまったのだけど
あゝそんな日があるんだなぁと
思ったことだけを憶えている

大学の古い西門を抜けて
細くうねる筋を抜けた
四つ辻の角にある珈琲店「甍」
その窓際の席で本を読んだり
出入りする友達たちと
あいさつを交わしながら
ぼくは徒らに日々を過ごしていた

「今日はビスケットの日だぞ」
店の隅に吊されていた
仲間たちの連絡ノートに
男っぽい字でそのこは書いた
はじめてのデートの帰り
ぼくらは次の映画の約束をして
ビスケットの小さな包みを買った

モラトリアムという語感ほど
気楽ではなかったけれど
不安より未来を信じていた
その日が何日だったのか
その後誰に尋ねることもないまま
ぼくは今もときどき
子供のためにビスケットを買う

(1997年?頃)

 
■20歳の恋 3度のデート
2月28日は「ビスケットの日」である。今はネット検索ですぐに分かる。
この詩を書いた90年代の後半頃は、すでにインターネットの利用が広まりつつあったはずだが、まだ今のようにネット検索で何でも調べられるというほどではなかった。だから「ビスケットの日」があるというのは鮮烈に憶えていたが、それが何日だったかはこの頃まではまったく分からなかった。あるいは、この頃この詩を書いていなければ、そのまま調べることもなかったかも知れない。

「今日はビスケットの日だぞ」と書いた女の子に、ぼくは20歳のとき恋をした。上京して2年目、東京での初めての恋だった。
1981年2月の雪の降る夜に、ぼくは初めて彼女に電話した。外の電話ボックスからだった。大学生の頃はまだ部屋に電話を引けなかった。アパートの廊下にピンク電話があったが、もちろん誰が聞いているか分からないところで電話する勇気はなかったのだ。

彼女とは3度だけデートした。待ち合わせは三鷹駅の中央線の国立寄りのホーム。3度ともそうだった。

最初は、ぼくがチャップリンの映画「ライム・ライト」に誘った。
2度目は、彼女が「天井桟敷の人々」を観に行こうと言った。

25年ほど前とは言え、そんな古い映画がよくもまぁ続けて上映されていたものだ。

映画を観て、喫茶店に行って、食事をして、また中央線に乗って帰った。そんなものだった。

3度目のデートが、今思えば、たしか彼女が「ビスケットの日」を書いたときだった(とすると、どうも上の詩には脚色があったらしい。と言うより単なる勘違いか?)。その日、彼女は春休みで実家に帰省することになっていて、ぼくは東京駅まで彼女を送った。そして、それが最後のデートになった。

東京を離れて、実家に帰って、彼女は少し冷静になった、ということだろう、たぶん。

その失恋は、当時のぼくにはかなりの痛手で、ふっきれるまでかなり時間がかかった。が、ふっきれたときには、何だか憑きものが落ちたように、ぼくは(以前に比べればだが)すっかり陽気な人間になって、周囲を少しだけ驚かせた。

つまり、最後のデートの日付は、1981年2月28日。日記をつけたことのないぼくにとって、若い頃のデートで、いま日付が明確なのは、この日だけだ。そう思うと何だか不思議な気がしてくる。

今日は「ビスケットの日」。

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2006年1月 9日 (月)

* 冬の朝に

海岸線に低く長く影絵のように続く工場地帯
この街のことは子供の教科書にも載っている
そのことをよそ者のぼくは子供に教えられた
それだけのことだ冬の日の雪の晴れ間の朝の

声高に言うことで何かに与してしまう不安を
いつも丁寧に避けながらなお苛立つ心を抱え
海の冷たさを渡る見えない風の気配を感じる
それは何処からか何処かへと吹き抜ける風で

ぼくはそこにはいない妻も子も仕事もあるが
カーブのたびに膨らんでそのまま道を逸れて
いつか一人になるのをいつまでも恐れている

かつて世界と呼んだ何かが不意に眼前にあり
それはぼくの知らなかった街や人や光や風を
含んでいるがぼくだけは多分含まれていない

 
( 2005.12 )

 
■別大国道の既視感
毎朝、別府市の自宅から大分市内の勤務先まで国道10号線を車で走る。この区間の国道は地元では「別大国道」と呼ばれている。「別大(べつだい)」は、もちろん「別府-大分」の略だ。大分ではこの道路の呼称にかかわらず「別大」のつくネーミングは少なくない。語感としては極めて人工的な感じのする語で、それがこれだけ定着しているのは何だか少し不思議な気がする。まぁ、これも「よそ者」の感想ではあるのだろうが。

ところで、この別府市~大分市間の道路は、ぼくの生まれ育った鹿児島の鹿児島市~姶良間の道路と、その感じが極めて似ている。ともに同じ国道10号線だ。

まず、別府湾・錦江湾(鹿児島湾)という違いはあるが、どちらも対岸が望めるような狭い湾岸に沿った道であること。海岸のすぐ近くまで山が迫り、小さな集落を除いてほとんど人家のない道が続くこと。四車線の広い道路で交通量もかなり多いこと。JR線がこの国道と並行して山側を走っていること。さらに加えて言えば、大分には「高崎山」、鹿児島には「磯公園」というよく知られた観光地が道路沿いにあること。

もっとも海側に「桜島」がある・ないという最大の、そして決定的な違いはあるのだが、その点だけを除けば恐ろしいほど「似ている」と言っていい。朝や昼間に車を走らせていると何とも不思議な気持ちがしてくるほどだ。ところが地図などで眺める限りはその相似には気づきにくい。地図上での向きが違うからだ。さらに九州では大分と鹿児島というのは地理的に最も疎遠な県で、人の行き来も少ないはずなので、この相似に気づいている人はそれほど多くないのではないかと思う。

この道路を車で走っていると、大分市側の海岸線にはかなり大きな工場群が見える。それらはほとんどが「新日鐵」関連のもので、子どもの社会の教科書にも、大分市は九州有数の工場地帯として載っているらしい。ぼくが子どもの頃の教科書には載っていたのか載っていなかったのか、なぜかまったく記憶がなく、ぼくには大分が工場地帯という認識はあまりなかった。たまに子どもの教科書を覗くだけでも面白い発見に出会うことがある。世界は依然として未知なものに満ちている。小さい頃の電車(や汽車)の車窓みたいだ。

この海岸沿いの工場群が少し霞んで影絵のように見える朝の風景は「詩的」といっていいほどの「美しさ」がある。もちろん毎日ではないが、「美しく」見える日のその遠景は、思わず見とれてしまうほどだ。もっとも、これはその地に住んでいる者の感想ではあるだろう。

ぼくは毎年海外旅行に出かけるよりも、国内のいろんな土地に数年づつ住んでは引っ越して回る生活に憧れる。父が(鹿児島県内のみだったとは言え)引っ越しの多い仕事だったので、以前のぼくは、自分は「定住」や「濃密な人間関係」に憧れていると思っていた。だが、どうも違うらしい。自分のことでさえ年齢を重ねなければ分からないことが多いのだ。

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