「道」山村暮鳥
おうい雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきさうぢゃないか
どこまでゆくんだ
ずっと磐城平の方までゆくんか
詩人・山村暮鳥の「雲」という詩。アニメ「巨人の星」で、主人公「星飛雄馬」の初恋のひとであり、病気のために早世する少女「美奈」が暗誦していた詩だ。もはや30数年も前、小学生の頃のアニメなのになぜかよく憶えている。
ところが、先日、原作のマンガ版の方を読み返してみると、この詩が出てこないので驚いてしまった。あれ? と思いネットで検索すると、どうやらアニメの方に「雲」の詩が出てきたのは間違いがないらしい。原作のマンガ版でも、美奈は、ジャン・コクトーの詩、
私の耳は貝のから
海の響をなつかしむ (「耳」・堀口大学訳)
を暗誦したりしているので、確かにそれほど不自然なことではないのだが、飛雄馬と美奈が出会い、死別するのは宮崎のはずで、なぜ「磐城平」の詩が出てくるのかよく分からない。単に制作スタッフの中にこの詩が好きな誰かがいたということなのだろうか。
思い返すと、同じ頃のテレビのドラマか何かで、高村光太郎の詩の「智恵子は東京には空がないと言ふ」で始まる一節も朗読されていたようなおぼろげな記憶がある。どうやら、この頃(昭和40年代くらい)までは「教養」の一部としての「詩」というものがまだ存在していたような気がするのだが、どうだろう?
山村暮鳥は、1884(明治17)年生まれ。前回の三好達治よりも10数歳年上で、前々回の中原中也とは20歳ほども違う。完全にひと世代上という感じだ。
処女詩集「三人の処女」1913(大正2)年刊は、まぁ普通の詩集という感じ。暮鳥30歳のとき。
2番目の「聖三稜玻璃」1915(大正4)年刊は、うって変わって全篇これ「実験詩」という趣きの詩集で、いま読んでもうわぁ!と思うくらいだから、大正時代の初めにこれを読んだ人はぶったまげたのではないかと想像する。
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
ひばりのおしやべり
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
やめるはひるのつき
いちめんのなのはな。
有名な「いちめんのなのはな」(「風景」)の詩も、この詩集に入っているが、実はこれなどはまだ穏やかな方だ。詩集冒頭の詩には「殺人ちゆりつぷ」なんて、なんだか初期仮面ライダー的なセンスの詩句もあったりしてうれしくなってしまう。
ところが、次の詩集からは、またもうって変わって「人道主義的な詩」(と言っていいのかはよく分からないが、とにかくそんな感じの比較的分かりやすい詩)を書く詩人に180度変わってしまう。たとえば、上の「雲」のような詩だ。そして、この「雲」の詩が収められた詩集「雲」(こちらは詩集のタイトル)の校了を終えて間もなく、1924(大正13)年末に病没する。つまり、まだ40歳そこそこの若さでだ。
詩人としての活躍の期間はわずか10年ほど。詩集「聖三稜玻璃」の後にも多くの詩集が出ているので、何となく長生きしたような錯覚をしていて、「聖三稜玻璃」は「若気のいたり」的な感じかと漠然と思っていたのだが、実際は30歳以降の詩集で、それからわずか数年で亡くなっているとなると、少しイメージが変わってくる。そうか、こんな短期間のうちのことだったのだ。
「聖三稜玻璃」の次の詩集「風は草木にささやいた」(1918年刊)に「道」という短い詩が収められている。ぼくは結構好きな詩だ。
道は自分の前にはない
それは自分のあしあとだ
これが世界の道だ
これが人間の道だ
この道を蜻蛉もとほると言へ
出だしは高村光太郎の「道程」の冒頭「僕の前に道はない」を思わせるのだが、よく読むとこの詩は「道程」ほど明解ではない。
1行目で「前」を見ているかと思えば、2行目に「あしあと」と来れば「え?後ろ?」 … というような「ねじれ」があったり、3行目以降は1行ごとに飛躍があって、何だか圧倒されて有無を言えなくなったところに、最後が「この道を蜻蛉もとほると言へ」で、奈落の底へ追い落とされてしまうような気がする。それでも、わけが分からないながらも、この最後の1行がこの短詩を詩たらしめているのは認めざるを得ない。こういう詩は意味を説明しようとすると、とたんにつまらなくなる。「道程」は教科書に載っても教えやすいが、この詩はたぶん無理だろう。
そして、「聖三稜玻璃」の実験詩群と「雲」の間に、この「道」という詩を置くと、さながらミッシング・リングを見つけたような気になる。これはぼくだけかも知れないが…。すると今度は「蜻蛉」というのが気になってくるから不思議だ。そう思いながら、詩集を眺めていると、晩年の「雲」と同時期の詩に「とんぼ」という詩があるのに気づいた。
一ばんぢう
自分は小さな蜻蛉であった
そしてとろとろゆめみてゐたのは
どこかの丘の
穂にでてゆれてる
芒であつた
やはり何だかいいなぁと思ってしまう。三つ子の魂百まで … などと言うが、小学生のときに「巨人の星」で刷り込まれたものは、案外根深いものがあったのかも知れないと思ってしまうこの頃だ。
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